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広島高等裁判所 昭和42年(う)397号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役六月に処する。

原審並びに当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は記録編綴の弁護人木島次朗名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

第一、原判示第一の事実に関する事実誤認の主張について(論旨第一、二点)

所論は要するに、原判示第一の事実について本件事故は被告人が惹き起したものではないというのである。

本件記録並びに原審及び当審で取調べた証拠に基いて、原判示第一の事実に関する事実認定の当否を検討するに、原判決が挙示する証拠を綜合すると、原判示第一の事実はこれを優に肯認出来、右認定に何ら不当な点はない。所論に鑑み、論旨を追つて説明する(以下時刻を表示するのはすべて本件事故発生当日の昭和四〇年九月一八日のことである)。

一、被告人の運転する貨物自動車(以下車という)は本件事故発生の時刻(午前一一時五〇分頃)より約三〇分前に本件事故現場附近を通過しているとの主張について

(一)所論は被告人が車を運転して和田金属株式会社本村工場を出発した時刻(午前一一時五分頃)と右工場と本件事故現場との距離(約六・五粁)及び車の時速(約三〇粁)とを勘案すると、被告人の車は遅くとも午前一一時二〇分頃即ち本件事故発生の時刻頃より約三〇分前に本件事故現場を通過している旨主張する。

右所論に符合する証拠として、所論指摘の証拠のほか、原審証人三品安弘、同芥川スガヨの各証言が存するが、所論指摘の証拠(昭和四〇年九月一八日付捜査状況報告書四項)は庄原警察署の警察官が本村工場において被告人の出発した時刻を調査した際、右会社事務員芥川武典の回答を同署長宛に報告した書面であるところ、原審証人三品安弘の証言によると、前記芥川は右警察官の調査の際、被告人の出発時刻を憶えていなかつたので、右証人と相談のうえ、回答したものであつて、正確な根拠(例えば運転日報)に基いてなされたものと迄は認められないのである。従つて、証人三品の証言についても同様のことが言える。そうだとすれば、時刻に関する人の記憶があいまいであることは経験則上明かなことであり、又被告人も捜査官に対して午前一一時四〇分頃、本村工場を出発したと供述していることから考えると、右各証拠は信用できない。証人芥川スガヨは被告人が午前一一時一五分乃至二〇分頃に証人方(本村工場から車で二、三分の所にある)に立寄り、今から大阪へ行くと声をかけた。そして私は被告人の出発した時刻をメモに書いた旨供述する。しかし、同証人は自分は昭和四〇年四月頃、被告人と知り合い、以来しばしば本村から大阪へ行く被告人に頼んで、大阪に居る自分の子供に品物を届けて貰つており、本件事故当日も被告人に同様の依頼をした。被告人は週に二、三回本村、大阪府豊中間を往復し、いつも朝方本村へ帰つて来て、証人方で朝食をしていると供述している。右のような証人と被告人との関係と何も必要と思えない被告人の出発時刻をメモに書いたこと及び前記の被告人の供述から考えると右証言はにわかに信用できない。しかし、仮に被告人が午前一一時五分頃本村工場を出発したことが事実であるとしても、右のことから直ちに被告人の車が右工場から約七粁(昭和四〇年九月一八日付捜査状況報告書)はなれた本件事故現場附近を所論の時刻頃に通過したと認めることは出来ないし(けだし、その間を所論の時速で走行するとは限らないから)、後記説示のとおり、被告人の車が事故現場附近を原判示の時刻頃に通過したことは動かし難いから、いずれにせよ論旨は理由がない。

(二)所論は庄原警察署が藤谷正春から本件事故発生の通報を受け、所轄並びに三次警察署管内の巡査派出所及び本署のパトカーに加害自動車の発見取押え方の手配を終えた時刻(午後〇時五分)からすると、被告人は福山市に至る迄の沿道にある派出所のいずれかで取り押えられていた筈であるのに、右いずれの派出所でも検問を受けることなく通過し、福山市内で検問を受けたということは被告人が本件事故現場附近を原判示の時刻より約三〇分前に通過したことを裏付ける旨主張する。

証拠によると、庄原警察署が藤谷正春から本件事故発生の通報を受け、所論の派出所等に加害車の発見取押え方の手配を終えた時刻及び被告人が福山市内で検問を受けたことは所論のとおりであるが、本件事故現場から福山市内に至る道路は所論の道路以外にも存するのであり(当審証人四〓玄也の証言)、事実被告人が所論の道路を通り、途中の派出所で検問を受けなかつたにせよ、手配を受けた警察官が手配の車を取り逃すことはままありうることであるから(所論の派出所が果して検問をしていたか又どのような方法で検問をしたかはこれを認めるに足りる証拠はない)、所論の事情が所論を裏付けるものとはいえないし、後記説示のとおり、被告人が本件事故現場附近を原判示の時刻頃に通過したことは動かしえないから、論旨は理由がない。

(三)所論は本件被害者を含む幼稚園児及び幼稚園の妹尾先生が校門を出た時刻(午前一一時二〇分頃から三〇分頃)と右校門から本件事故現場迄の距離(約八〇〇米)と学童の歩行速度及び妹尾先生が途中被告人の車を目撃していないことからすると、被告人の運転する車が本件被害者らを追い越した場所は本件事故現場より少くとも二〇〇米手前であつたことが推認できる。現に被告人は警察官が実況見分をした際に立会つて右事実を強く主張したが、取り上げられなかつた旨主張する。しかしながら、後記(四)の(ろ)掲記の藤谷正春の供述によつて、被告人の車が被害者らを追い越した地点は本件事故現場附近(校門から約七〇〇米昭和四〇年九月一八日付捜査状況報告書)であることが明かである。所論の妹尾益枝は当審で証人として被告人の車をみたかどうかは大分前のことであるから記憶がないと供述しているのであつて、右証言は前記認定を左右するものではない。又所論の実況見分の際、被告人が被害者らを追い越した地点は本件事故現場より二〇〇米手前であると主張したとの事実はこれを認めるに足りる証拠はない。論旨は理由がない。

(四)所論は被告人の車が本件事故現場附近とその前後の地点を原判示の時刻頃とその前後頃に通過するのを見たとの目撃者の原審での公判供述及び捜査官に対する供述は信用できない旨縷々主張する。

そこで、原判決が挙示する目撃者の供述内容をみると、

(い)石畑光男(司法警察員に対する供述調書)は午前一一時四二、三分頃本件事故現場迄約二・二粁(検察事務官作成の捜査状況報告書)の山森商店前の県道を本村方面から下る三五、六才の男が運転するボデーが濃い紺色で幌をつけた前から知つている和田金属の四輪貨物自動車をみた。

(ろ)藤谷正春(原審証人)は午前一一時四〇分から四五分頃自宅から牧草を積んで三良坂の方にある山へ行くため、軽三輪自動車を運転して出発し、約一〇〇米はなれた平山力夫方前(同所は土地が高いので後記の県道の状況がよく見える)附近に来たとき、進路前方約一二〇米の藤田醤油店前で右に岐れている春田町から実留町を経て三良坂へ通ずる県道を前記藤田の店から約二二〇米西方の所を三良坂方面に走つて行くボデーが濃いネズミ色でグレーのシートをかけた普通貨物自動車を見た。その車と私の車との間に他の車はなかつた。自分はそのまま運転して藤田方前で右折して前記の県道を進行して本件事故現場手前迄来たとき、路上に子供が一人倒れているのを見つけたので、直ちに停車し、附近にいた子供達にどうしたのかと聞くと、轢れたというので事故だと思い、前方をみると、前方二〇〇米位の所を三良坂方面へ走つて行く前記の車が見えた。私は直ちに通報しようと思い、附近の中田文造方(約七〇米)に行つたが、家人が不在のため、自宅に引き返し、庄原署に電話で右事故のことを通報した。その時正午のサイレンが鳴つた旨(右供述中距離関係は昭和四〇年九月一八日付、二一日付実況見分調書による)

(は)宮脇テル子(検察官に対する供述調書、原審証人)は本件事故現場から西南約二〇〇米の田のあぜで草刈りをしていて、正午のサイレンが鳴る前に、私の丁度北側の県道を三良坂方面へ走つて行く和田金属の車を見た。それで、そろそろ長男が学校から帰る頃だと思つて、車が通つた場所より東の方を見ると中田文造方よりやや西寄りの所に黄色の帽子をかぶつた子供らが居るのが見えた。暫くすると、バタンコが東の方から子供らの居る辺りに来て直ぐに引返した。どうしたのかなと思つた。

(に)宮本敏之(司法巡査に対する供述調書)は広島県の道路工事をしていて、本件事故当日も午前一〇時頃から受持区間の庄原市実留町殿河内笠間商店三叉路附近より約一三〇米東方の敷信農協殿河内南倉庫附近(本件事故現場から西方約三粁右は原審証人四〓玄也の証言による)の道路で仕事をしていたとき、正午のサイレンを聞いた。私は昼食のため自宅に帰ろうと右倉庫から五〇米位西へ行つた県道でボデーが濃い空色で、同色のホロをつけた和田金属の車が通るのをみた。私が一〇時頃から仕事をしている間に空色の車は通つたが、ホロはかけていなかつた。そして私は日曜日、祭日以外は道路の補修をしているが、日頃和田金属の車をよく見かけており、よく知つている。

(ほ)滝口栄朗(原審証人)は本件事故当日実留町橋本方の屋根に瓦を運んで降りてきて…………昼食をしようということで道路三良坂線に出て手を洗つて食事にかかつたとき正午のサイレンが鳴つた。それから一〇分位してから、キヤブオーバーという和田金属の車が通るのをみた。その車はホロをかけていて、ボデーに赤い字で和田金属と書いてあつた。

(へ)田辺幹夫(当審証人)は右滝口らと一緒に仕事をしていて正午のサイレンを聞いて県道端で食事をしていたとき直ぐ目の前の道路を車の後のドアーの所に和田金属と書いてある車が通るのをみた。ホロをかけていた。

旨各供述している。

所論によると、右目撃者が供述するとおりであれば、前述のように被告人の車は福山市に至る迄の派出所で当然取押えられていた筈であるのに、斯かる事実がなかつたことを理由に、右各供述の信用性を攻撃する。しかし所論のいう理由は前に説示したとおり採用出来ないものであるから、右は右各供述の信用性を疑わせる資料とはならない。なお、所論は証人滝口は車体に赤い文字で和田金属と書いてあつたと供述しているが、右は全く事実に反しているから、右証人の証言は信用できない旨主張する。なるほど右証言中には所論指摘のように事実に反する部分も存するが、このことを以て同証人の証言がすべて信用できないとはいえないし、当審証人田辺の証言は右滝口の証言を裏付けているから右の所論は採用できない。また、所論は本件事故当日被告人の車にシートをかぶせていたから、車体の和田金属の文字は見える筈がないから、車体の和田金属の文字を見た旨の各目撃者の供述は信用できない旨主張する。成る程、弁護人提出の写真(昭和四二年九月二七日撮影)によると、車の後の車体の和田金属の文字は見えるが、両側の車体はシートにおおわれて同所の和田金属の文字はみえない。しかしながら目撃者滝口栄朗(同人はどの車体の部分に書かれた文字であつたかと迄は供述していない)、田辺幹夫(後の車体と供述している)らは車体に利田金属と書いた車をみたと供述し、同人らや目撃者石畑光男、宮本敏之らはいずれも至近距離で以前から見て知つている被告人の車をみて居ること、石畑光男、宮本敏之は本件事故発生当日警察官の取調べに対して右の供述をしているものであること、石畑光男、宮本敏之、藤谷正春、滝口栄朗、田辺幹夫はその色合こそ濃い紺色乃至濃いネズミ色といつて必ずしも一致していないが、車体とシート(幌)とを区別して供述していることに徴すると前記の写真は右各目撃者の供述の信用性を左右するに足りない。従つてこの点の所論も採用できない。さらに、所論は右目撃者は予断に基いて供述しているから、信用できない旨主張するが、右目撃者が所論のような予断に基いて供述したと疑うに足りる証拠は存しない。その他本件記録を調査しても右目撃者の供述の信用性を疑わせる事由も認められないから所論は採用できない。

二、被告人は車を本件被害者に接触させたことはないし、ましてや被害者を轢過したことはない旨の主張について

(一)所論は、被害者のランドセルに何ら接触痕がなかつたこと、左車幅灯自体に何ら損傷がなかつたことを挙げて、原判決の左車幅灯を被害者に接触させた旨の認定を攻撃する。

しかしながら、被告人の供述によると、本件事故当日工場を出発する時、左車幅灯は何ら異常がなかつたというのであり、実況見分調書(昭和四〇年九月二一日付)によると、左車幅灯(それは車の前方から一・六米、高さ七七糎の所にあつて、その長さ一〇糎、直径五糎のもので先端部は丸味を帯びた円錐状をなしている)は外側に約二五度、上方に約七〇度曲つていたこと、車幅灯の前方ガラス部の先端附近の埃が拭われたようになつていたこと、車幅灯前部の車のボデー枠の前方下端が長さ約二〇糎、巾約二糎に亘つて埃が拭われたようになつていたことが認められ、左車幅灯は被害者(身長一一五糎富田功一の鑑定書)の肩より低い位置にあることが認められる。右事実からすれば、被告人が被害者の右側を通過する際、左車幅灯を同人(背負つていたランドセルに接触させたか着衣に接触させたか身体に接触させたかは証拠上明かでない)に接触させたものと認めるのが相当である。ランドセルに接触痕がなかつたこと、左車幅灯自体に破損(ガラスの破損とか擦過痕)がなかつたことは所論のとおりであるが、仮にランドセルに接触させたとしても、ランドセルの性状(皮製品であつて柔軟性がある)、それを背負つていた被害者は僅かな力によつて容易に動かされること、車幅灯の形状(先端部分は円味を帯びている)、追い越した際の速度(約七粁)等から考えるとランドセルに接触痕をのこさなかつたこと、車幅灯自体が破損(例えばガラス部が破れるとか、擦過痕をのこす等)しなかつたことは十分肯けることであつて(着衣乃至身体に接触したのであれば尚更のことである)、所論は前記認定を妨げる事由とはならない。論旨は理由がない。

(二)所論は被害者が本件事故現場の道路のほぼ中央に倒れていたこと、被害者の着衣からタイヤ痕が検出されなかつたこと、被害者の身体に外傷がなかつたことを挙げて、原判決挙示の富田功一作成の鑑定書及び原審証人富田功一の証言の信用性を攻撃する。

しかし、所論の被害者の状況は本件事故直後被害者の状況を目撃した藤谷正春や子供らの指示に基いて再現されたものであつて(昭和四〇年九月一八日付実況見分調書)、被害者が轢過されたときのものではないし、所論のいうように被害者の着衣からタイヤ痕が検出されなかつたが(原審証人四〓玄也の証言)、着衣は伸縮性のある柔かい繊維製品であり、加えて被害者がそれを着用していた(人の身体が弾力性のあるこという迄もない)ことから考えると着衣にタイヤ痕をのこさなかつたことは十分肯けるし、所論指摘の証拠及び原審並びに当審証人四〓玄也の証言によると、本件のように被害者が五・三トン(捜査状況報告書二一四丁)も重量のある車で轢過された場合でも、その際の時速が七粁位の緩い速度の場合には身体の外皮が破裂しないで臓器に破裂性の損傷を生ずるに止まることは充分考えうることであり、斯かる事例は比較的多く見受けられる現象であることが認められるから、所論のいう理由はいずれも所論指摘の証拠の信用性を疑わせるに足りる理由たりえない。論旨は理由がない。

(三)所論は原判決挙示の平田弘志の鑑定書及び原審証人平田弘志の証言の信用性を攻撃して次のようにいう。前述のように被害者が道路中央に倒れていたこと、靴跡が付着していた車のシヤーシーの高さは地上から約六二糎であつて被害者の身長(一一五糎)から考えると、前記のシヤーシーに被害者の靴跡が付着することは到底考えられないという。

所論のいう被害者の状況は前に説示したとおりであるから、これを理由とする主張は採りえない。被害者の右のズツク靴の裏の跡が前記のシヤーシーにどのような時、どのような状態で付着したかは明かではないが、現に付着していたことが付着することの可能性があつたことを論証しているばかりでなく、所論のいうシヤーシーの高さは空車の時のものであつて、被告人の車は当時三トン以上の荷物を満載していたのであるから(捜査状況報告書二一四丁)、当然シヤーシーの位置はそれより低くなることが考えられること、当審証人四〓玄也の証言によると本件のように轢過された交通事故で本件と略々同じ高さの車体の部分に被害者の靴跡が付着した二、三の事例があつたことが認められる。これに被害者の身長(一一五糎)を考えると前記シヤーシーの位置は靴跡が付着することが全く不可能な場所とはいえない。論旨は理由がない。

(四)所論は原判決は本件事故現場にあつた工作紙上に残されたタイヤ紋様痕と被告人運転の車のタイヤのそれとが一致することを証拠の一つとしているが、被告人の車のタイヤと同種のタイヤの全国的普及率は五五%以上に達していること、本件事故現場には血痕があつたのであるから、被告人の車が轢過したのであれば、右工作紙上に血液が付着する筈であるのに付着していないことを理由に右は決定的証拠とはいえないと主張する。

しかし、仮に被告人の車のタイヤと同種のタイヤの全国的普及率が五五%以上に達しているとしても平田弘志の鑑定書及び原審証人平田弘志の供述によると、工作紙上のタイヤ紋様痕と被告人の車の左後車輪タイヤ紋様痕はその紋様の規格、区画形態並びに距離関係が各々合致したのでタイヤデザイン登録制度等から判断して工作紙上のタイヤ痕は被告人のタイヤ痕と同型のデザインタイヤ(ブリヂストン・マイテイリブ七五〇―一五一四ブライ)による輪痕跡と認めるというのであり、沖久靖の鑑定書によれば、工作紙上の紋様痕と被告人の車の左後車輪のタイヤ紋様痕とは同一のものであると認めるというのであつて、右事実は本件の有力な証拠といえるのみならず、原判決も右鑑定書を唯一の証拠として轢過の事実を認定しているのではないから、この点の所論は理由がない。

実況見分調書(昭和四〇年九月一八日付)によると本件事故現場の道路のほぼ中央部に血痕の存することが認められることは所論のとおりであるが、右道路の巾員(二・五米)と車の車幅から考えると車輪は血痕のあつた場所を通過していないといえる(なお工作紙のあつた場所は三良坂方向に向つて道路左端附近にあつた)。又被告人の車が轢過したと思われる被害者の胸部、背部には外傷がなかつたことは所論も認めるところであるから、工作紙上に血液が付着しなかつたことも肯けるのであつて、この点の所論も採用できない。

三、本件事故は被告人が惹起したとするには疑問とする事実が存するとの主張について(論旨第二点)

所論は本件事故現場から三良坂寄りの県道沿いにある日雨孫商店に午前九時から午前一〇時頃迄の間に庄原市本町の平岡日進堂店主平岡兵三運転のウグイス色の幌をつけた四輪小型貨物自動車、庄原物産の幌付四輪貨物自動車、河西運送のウグイス色の小型トラツクがいずれも実留町方面から来て、立ち寄つて本村の方へ行つた事実がある。そして右いずれの車も何時頃帰つたかは明かでない。平岡兵三は当日車を運転して日雨孫商店のほか事件が発生した県道沿いにある小売商店を廻つていたこと、その車は型式、車体全体の色合、車にシートをかぶせると、被告人の運転していた車とそつくりであり、その使用タイヤは被告人の車と同じブリヂストン製であつたこと、しかも平岡兵三は何ら関係もないのに、広島地方裁判所庄原支部で開かれた被告人に対する本件被告事件の第一回から第四回迄の公判期日に毎回傍聴席でその審理状況を熱心に聞いていたこと、日進堂の車は未だ充分使用出来るのに、間もなく急に他に売却処分して了つたことを挙げて、本件事故は被告人が惹き起したものと認定するには疑問がある旨主張する。

原審証人日雨孫政代の供述によると、当日午前九時から一〇時迄の間に所論の車三台が実留町方面から来て日雨孫方に立ち寄つたことが明かであり、その後右いずれの車も何時どのようになつたか分らないことは所論指摘のとおりであるが通常平岡の車は朝日雨孫方に立寄つた時は帰途は本件現場を通らないことが認められる上、前示説示のとおり、被告人の車が本件事故現場附近を、本件事故発生の時刻頃に通過したことを認めうるほか、被告人の車が本件事故を惹き起したと認めうる証拠が存するのであつて、所論の事実は右認定を何ら左右するものではないから、論旨は理由がない。

第二、原判示第二、第三の事実に関する事実誤認、法令解釈の誤り乃至法令適用の誤の主張について(論旨第四点)

まず、所論は被告人は原判示第一の事実は被告人が惹き起したのではないから、被告人は本件被害者に傷害を与えたことの認識はなかつた。然るに、原判決は被告人が本件被害者に傷害を与えたことを未必的に感知していたとして、これを有罪と認定したのは事実誤認であると主張する。

そこで検討するに、被告人が本件被害者を轢過したことはこれを認めうるところ、被告人が本件被害者に傷害を負わせたことを認識したか否かについてみるに、被告人の司法警察員(昭和四〇年九月二四日付)、検察官に対する各供述調書によると、被告人は本件事故現場附近で進路前方に同一方向に歩いている五人位の学童を発見し、警笛を鳴すと道路左側に一列に並んだので七粁位の速度で同人らを追い越した瞬間、赤土の上を走つている時、何らかのはずみで車輪が左右に滑ることがあるが、丁度そのような田圃寄りの方へ車体後部が横すべりしたようなシヨツクを感じた。一瞬ひやつとした。車を停めて後帰りするのがおそろしくなつてそのまま走り去つた旨供述している。右供述は任意になされたもので、その内容は経験した者でなければなしえないものを含んでいて十分信用出来る。右供述からすると、被告人は追い越す際の現場の状況から人を轢過したのではないかと感じて何らかの傷害を与えたことを認識したと認めるのが相当である。右認定によると、被告人は被害者に何らかの傷害を与えたことを少くとも未必的に認識したものといえる。原判決には所論のような事実誤認は存しない。この点の論旨は理由がない。

次に所論は原判決は被告人が本件被害者に死傷を与えたことを未必的に認識したとして道交法七二条、一一七条を適用して被告人を処罰しているが、右七二条は行為者が事故を起し、その結果人身傷害が発生したことを確定的に認識した場合に限られ、未必的認識の場合には適用されないという。しかしながら所論のいう法条の行為者の認識については人身傷害発生の事実について未必的認識があるをもつて足り、必ずしも事故発生の確定的な認識を要するものではないと解するから、原判決には所論のような法令解釈乃至法令適用の誤りは存しない。この点の論旨は理由がない。

第三、量刑不当の主張について(論旨第三点)

本件事故は被告人が車を運転して道路左側に一列に並んで避けていた本件被害者らの右側を追い越す際、同人らと車との間隔を十分保持して通過しさえすれば防ぎえたものであつて、これを怠つたため、幼い生命を奪うに至つたものであり、子供の成長を楽しみにしていた両親の精神的苦痛は察するに余りがある。被告人は本件事故を惹起しながら、直ちに停車して被害者の被害の有無及びその程度を確めることなく、本件事故現場から走り去つたものであり、また、一度は捜査官に対して、本件事故を惹き起したことを認めたが、原審並びに当審を通じて終始これを争い、被害者の遺族に対して何ら慰藉を講じていない。しかしながら、本件過失の内容は前述のとおりではあるが、被告人は被害者を追い越す際、時速約七粁に減速して左側バツクミラーで、同人らの動静を確認しながら進行したのであるが、稀々左側バツクミラーの取り付け方が不完全であつたため、バツクミラーから、左後車輪の接地部分を直線で結ぶ車体から約二〇糎の範囲は死角になつていたこと、車幅灯が車体よりやや凸出していたという事情が重つて、本件事故を惹き起したもので、過失の内容、程度には酌量の余地がある。又被告人の轢逃げも被害の発生を確定的に認識していたものではなく必ずしも悪質とはいえないこと、さらに被告人において慰藉を講じていないとはいえ、被告人の過失が明かになれば使用者において相当額の慰藉を講ずる準備がなされていること、被告人はこれ迄道路交通法違反やその他の前科がないことなどの事情に照らすと、原審の量刑は重きに過ぎると思料される。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により、原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により自判することとする。

当裁判所の認定した事実及び証拠の標目は原判決のそれと同一であるから、これを引用する。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は行為時においては昭和四三年法律第六一号(刑法の一部を改正する法律)による改正前の刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条に、裁判時においては改正後の刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条に該当するが、犯罪後の法律により刑の変更があつたときにあたるから刑法六条、一〇条により、軽い行為時法の刑によることとし、判示第二の所為は道路交通法七二条一項前段、一一七条に、判示第三の所為は同法七二条一項後段、一一九条一〇号に各該当するところ、判示第一の罪については禁錮刑を、判示第二、第三の罪については所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから同法四七条、一〇条により最も重い判示第二の罪に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役六月に処し、原審並びに当審における訴訟費用の負担につき刑事訴訟法一八一条一項本文を適用する。

よつて、主文のとおり判決する。

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